[20200130]体験とシステム

ねこますさんの記事を読みました。
https://fantia.jp/posts/274956
 
「VRSNSにおける本質は"体験"なので、体験がもっと設計しやすいシステムになってくれるといいよね」という話だと認識している。
 
で、"論点の認識"が読み手によってだいぶズレてるな、と思った。
 
[より良い体験をどう作るべきか]という話に見えている人がいるけど全然違くて、
[より良い体験をつくるために"システムが"どうあるべきか]という話。
 
体験自体の設計とか作り方とかの話じゃなくて、なんであれ体験をつくる時に [本質は"体験"である]という考えをベースにしたシステムだと色々やりやすいよねっていう話
 
「体験をどう作っていくべきか」とか「これこれこういう風に体験を設計すべき」というのは体験の設計の話であって、この記事でその話はしていない。
「どういうシステムだと体験が作りやすいか」という話をしている。
 
"体験をつくる側"に対しての話ではなくて、それ以前の"システムをつくる側(たとえばVRC運営)"に対しての話。
 
と、"僕は"認識しています。
 
"場"が無ければ/"人"が居なければ"体験"は生まれない。
ワールドやそこに居る人はかけがえのないもの。
というのは当然なので最初の記事ではそこについて言及してなかったけど、書いてないことを読む/書いてあることを読まない というのが人類わりとありがちなのでかなしいね。
 
そもそも、場/人/体験/システム あたりの言葉の認識が読み手によってだいぶバラバラで、この記事ではそれらをどう扱ってるのか?を正しく見ないと(あと書いてないことを幻視したりすると)「背景は所詮背景、ワールドに価値は無い」と言ってるように視えてしまうのかもしれない。
そもそもこれはVRSNSのシステム設計の話なので、ワールドやワールドクリエイターの人に対する話ではない。
 
たとえば 誰かが雑談用のワールドをつくるとき、
雑談という"体験"のための、ワールドという"場"をつくっています。
すべての具象化される物事は"体験"という抽象のために存在している。
これは構造の話であって、意図的かどうかという話ではない。
 
ヨツミフレームさん(唐突)の以前の記事に書かれているような「足りないもの」が発生するのは、システム設計側が"本質は何か?"を正しく認識していないからではないかと思う。
 
本質は、"場"において行われる雑談、音楽、日常、非日常、それらすべての"体験"。
なので、それを正しく認識してシステムが設計されると、体験の質や幅が拡がる。
というふうに読みました。