20211105 メタ的な

メタバースと言ってしまうとそれは結局既存の概念であって、『過去に考えられた未来』でしかないんじゃないか、と思っている。新しい概念には新しい言葉が必要なのだ。みんな短絡的に使いすぎなんじゃないかと思い、ムカついたので、メタバースという言葉の元であるスノウクラッシュを買ってみた。まだ上巻の途中までしか読んでいないが、かなり古い作品なのに最近刊行されていたとしても不思議ではないくらいに内容がカジュアルというか、面白いし読み易い。で、メタバースというのは作品内における仮想現実の大きなプラットフォームの総称で、サマーウォーズでのオズみたいなものだった。描写的にも技術的にも、現在のHMDを用いたVR体験とかなり近い。最も大きく違うのは、これは他のVirtualRealityを扱う作品全般でもそうだけど、それらではまず大きな世界がドンとあり、同じ世界の中に人々がアクセスしていく。人々は、目的によってその世界の中で建築したり拡張したりしてやり繰りしていく。対して、VRChatはもっとこじんまりとしている。ひとつの世界には同時に100人も存在できない。だけれども、Massiveでないというだけで、狭いけれどもその体験の質はかなり面白いことになっているというか、派手さはなくとももっと身近な体験としてじわりじわりとキているというか、まあそんな感じがする。で、VRChatとか現在のその他プラットフォームで恐らく共通していると思うのは、フィクションにおけるVirtualRealityが世界ベースなのに対して現実では目的ベースだということ。「世界があって、目的に応じてなんやかんやとする」のではなくて、「目的があって、それに応じて世界をつくる」のが現状であると思う。考えてみればそうで、基底現実ではそもそも最初から地球があって宇宙があるのでそこでなんやかんやとするのはまぁそれはそうだけど、そもそも何もない状態なら、わざわざ「既存の場所」で何かする必要なんかなくて(ここにそんなものはないのだから)、何かやりたいことがあるならそれ用のRealityをつくってしまえばいいのだし、なんの目的も無い「ただ広大な世界」を用意することに意味はあるのだろうか。いや、行けるところがたくさんある大きな世界みたいなのは普通に行きたいし普通にワクワクするけど、べつにVirtualRealityだMetaverseだと言った時にそれがMassiveなものでなくとも別に良いというか、ついそういう発想に縛られてる感じがあるんじゃないかなというか。そもそも、じゃあMetaverseに一番近いのは何かって言ったら僕はVRChatだと思うけど、VRChatはひとつの巨大な世界では特に無くて、体験を共有するための場でしかないというか、繋げているだけ。VRChatに居る人間はもともと存在している人間だし、そこにある空間もそもそも作者や人々のイメージに存在しているもので、だからここは新しい何かというよりも、もともと存在していたものを別の角度から見たりとか、気づいていなかったことに気づくとか、基底現実から本質的なものだけを持ってきてみるとか、そういうところだと思う。基底現実とVirtualRealityは相互にフィードバックさせれるんじゃないかなと思う。ルールの違う二つの現実を行き来して、それぞれでなんやかんやとやっていくと、そこに遍在する自分の存在の本質みたいなものが、まぁちょっとはわかってくるんじゃないかなというか、そうなったらいいなと思う。